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小日向 白朗(こひなた はくろう、1900年(明治33年) - 1982年(昭和57年)は、単身で中国大陸に渡り、捕虜から「中国全土の馬賊」の総頭目にまで上り詰めた日本人の馬賊である。新潟県三条市出身。本名は健松。中国名は尚旭東。民衆からは小白竜とも呼ばれた。1900年(明治33年)年、新潟県・三条の機屋の次男に生まれた。中国、チベットを調査しながら、ドイツを目指そうと17歳で中国に渡る。奉天(現瀋陽)駅の駅長に「中国語を学ぶには天津か北京に行くほうがいい」と勧められ、天津へ赴き、そこで駐屯軍司令部付の坂西利八郎大佐の知遇を得た。坂西大佐の下で、中国語、射撃などの訓練に励んだ。坂西大佐が少将に昇任して北京に赴任するのについて行き、北京公使館付武官たちの知己を得る。20歳で坂西少将から通行手形、拳銃と弾丸、銀貨をもらい、モンゴルのウランバートルを目指す旅に出たが、馬賊に襲われて捕虜となり、命と引き替えに馬賊の下働きとなる]。数多くの戦いで頭角を現したのち、馬賊の聖地である3年間千山無量観で道教と武当派の中国拳法などの修行をつみ、大長老の葛月潭老師より「尚旭東(しゃんしゅいとん)」の名と破魔の銃「小白竜(しょうぱいろん)」を授かった。この瞬間、小日向白朗は中国全土の馬賊の総頭目となった。東北軍閥・張作霖に請われ、その軍において数々の軍功を重ねて中将となり、張作霖の息子、張学良とも義兄弟の仲になる。翌1928(昭和3)年6月、張作霖爆殺事件が勃発、張学良は国民政府に合流し小日向は、日本軍と中国軍の間に立って、両者の融和に努めたり、日中戦争の前夜、蔣介石との和平工作に当たったりした。戦後は国民党軍に逮捕され、漢奸罪で起訴されるが、日本国籍を有していることが認められ、免訴となる。池田勇人内閣の情報機関の顧問を務めた。1982年、東京都新宿区にて死去。※関連ワード仏像 神社 仏閣 御朱印 欄間 骨董品 骨董 江戸 木彫 アンティーク レトロ 漆芸 硯 書 神道 酒器 花器 古民具 仏教 茶道 抹茶 茶碗 棗 茶入 古伊万里 九谷 信楽 備前 漆塗り 掛軸 版画 古玩 古美術 中国骨董 時代物 発掘品 博物館 遺跡 仏教美術 明治 大正 昭和レトロ 土器 antique 人形 古美術 横山光輝 狼の星座
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